career-revolutionary’s diary

満身創痍の見せかけエリートが、キャリア教育に革命を起こす。

殺人的ビッグワードによるマウント経営の組織は、自律学習型組織か、ブラック企業か。



今僕は、スタバで他の人と同じようにクールにMacBookを叩いている。
横の人は普段何をしているんだろう。

僕は、、、

僕は今無職だ。
昨日会社を辞めた。
最後の挨拶もなくひっそりと。

何か悪いことをしたわけではない。
でも、隠れるように身支度をし、逃げるように出て行った。




「最高の仲間と、お客様にとって価値のある仕事をしていきます!!」
「当社を一緒に変えていきましょう!!」

約2年前入社時に話した会話だ。
僕は、当時ちょっとだけ鳴物入りで入社した。




どうしていまここでこんなことをしているんだろう。




果たして理念経営とかビジョン型経営の組織的な観点での主たる目的は、団結なのか?排斥なのか?


今僕は、自戒を込めて言うが、理念などを含め軽々しく、ビジョンや価値観、プロ意識、正しさ等について一方的に語ることはとても危険だと思っている。いずれも好きな言葉だったが、今はこれらに対して非常に注意が必要だと思っている。
かつて、まっちゃんが伝説の教師というドラマで、「常識ぃ!?」と過敏に反応していたように、僕も今後このような殺人的ビッグワードに対しては一歩下がってクリティカルに向き合っていきたいと考えている。

だがしかし、現実を見るとこのようなビッグワードについては、共通認識が定義なされないままに、支配者がマネジメントの(もはやマネジメントとよべるものなのかわからないが)マウントポジションを取る目的で使っている場合も往往にしてあることについては、ここで細やかにアラームを鳴らしておきたい。


何があったか具体的に書くことはできない。


ただ、今クリアにわかっていることは、少なくとも僕は今とてもこれらのスマートで便利な言葉たちに対して敏感になり、アレルギー反応を示すとともに、ワンウェイコミュニケーションの場でこれらが頻発された時は、スピーカーに対して一歩引いて冷静に見るようになったということ。
また、誤解を恐れず言えば理念押しの会社に入社するときは、新興宗教に入信する覚悟でジョインしなければならないだろうということだ。


もちろん理念経営をしている会社全てが、殺人的ビッグワードによるマウント経営をしているわけではないと思う。


しかし、事実として、愛のない経営は存在する。
本来多様性を認めるためにあるはずのシェアードバリューが、規制や断罪、排斥に用いられることも事実としてあるということだ。


僕は、愛のある経営にこだわりたい。
愛とは、まず自分と向き合い、自分を認め、自分を赦すことだと思う。


学びの多い2年間だった。
ありがとう。